柳橋

ぶらぶらスポットを訪ねて

浅草橋ぶらぶらマップの紹介スポット「ぶらぶらスポット」を詳細に、浅草橋に古くから住む人などの取材を交えて、その歴史や秘話などを探索し、時には調査・研究する企画コラムです。浅草橋ぶらぶらマップと合わせてお楽しみください。

(f)柳橋

柳橋一丁目 MAP F7

ほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになった。江戸時代には吉原に通う舟遊びの場となり、明治時代以降も、文人・画家に愛された花街「柳橋」であった。

吉田茂・池波正太郎・松本清張……

著名人が愛した花柳界「柳橋」

《柳橋地区を流れる神田川。今も屋形船や小舟が列をなして浮かんでいる。》

JR浅草橋駅の東口から南へ進み、江戸通りを横切って神田川沿いを両国方面へ歩く。
川の端に屋形船や小舟が列をなして浮かぶこの川岸一帯は、「柳橋」と呼ばれる幕末から昭和にかけて有数の花柳界として栄えた地域であった。

「柳橋」は東を隅田川、西を江戸通り、南を神田川、北を総武線に囲まれたそう大きくはない町だが、最盛期には料理屋と待合の数は60軒をこえ、360余名以上の芸者を抱えたとされる。伊藤博文や吉田茂、田中角栄といった政財界の要人や、池波正太郎や松本清張といった名のある文人も出入りし、両国からほど近い立地もあり各界からも贔屓にされていたという。

「隅田川の川縁に、蔵前橋まで料亭がずーっとありましたね。昼間は料亭も開いていないから静かなんだけど、夜になると黒塗りの車がいっぱい来てね。総武線のガード下には人力車がいっぱい待っていて、電話で呼ばれて芸者さんを髪結いさん(美容室)から料亭まで乗せて行ったり」

《少年時代の柳橋を語る小松屋店主の秋元治さん》

柳橋のすぐ横、神田川の喉もとに建つ佃煮屋「柳ばし小松屋(以下、小松屋)」の主人・秋元治さんは、幼少期を過ごした花柳界の光景をそう振り返る。まだ料亭が健在だった当時、このあたりでは芸者集の姿はまったく珍しいものではなかった。

《小松屋(柳橋)と先代から守られる柳の木》

「当時はよく(佃煮を)買いに来てくれたけど、写真のとおり綺麗なんですよね。あと、なんていうかみんな芯が通っていて、話すことも俗っぽくないというかサラッとしてるんだよね。天気ひとつにしても「やんなっちゃうわね、雨ばかり」みたいなことは言わない。普通は愚痴のひとつも言う場面でも〝 恵みの雨ね〟ってそんな感じ。かっこよかった」

《人気芸者歌手の市丸さん(小松屋提供)》
《柳橋芸者(小松屋提供)》
《柳橋にある、かんざしのレリーフ》

 裏方ゆえに芸者さんの素の姿を多く見てきた秋元さんだが、一度だけ篠塚神社のお祭りの打ち上げで彼女たちの真の姿を目にしたことがあるという。秋元さんが大学生くらいの頃だった。当時あった芸能会館の舞台に上がった芸者集が、座敷で見せる三味線と踊りをそこで披露したという。

《篠塚稲荷神社(柳橋1-5-1)》

「それはもう衝撃でしたね。三味線や踊りを生で体験するのが初めてというのもあったけど、そこで披露したのは、お祝いの唄「さわぎ」だったんだけど、激しいダンスみたいな踊りだったから。お祭りっていうのもあって、みんなで「さぁさ、ういたーういたー、やっとーやっとやっとー♪」なんて威勢のいい掛け声もあって楽しかったです。テレビで見るような、しなやかでゆったりとした踊りなんかじゃなくって」

《お正月のあいさつ回りをする柳橋芸者(写真家・秋山武雄さん提供)》》

 秋元さんが語るように、町内のお祭りのような生活の場面にも、花柳界は普通に溶け込んでいた。それもそのはず。当時は街一帯が花柳界とのかかわりのなかで生計を立てており、生活はそこを中心に回っていたのだ。界隈には当時から続く店がそこかしこに残っている。「大黒屋」の天ぷら、「鳥茂」の焼き鳥、「梅寿司」の寿司、「梅花亭」の和菓子、喫茶店「ときわ」ののりトースト。池波正太郎も愛した名洋食店「大吉」のオムライスも、芸者から愛された人気メニューだった。

「芸者さんってお座敷では何も食べられない。そうすると、自分とこの置き屋さんでオムライスを出前で取って、さっと食べてまた出かけていく。もしくは、お座敷から帰ってきて〝お腹すいちゃった〟って、お店へ食べに行ったり。だから、22時くらいまでやってるお店が多かったですよ」

“本物” に出会える

「柳橋」の楽しみ方

 「小松屋」もまた当時、料亭を訪れる人々のお土産として重宝された佃煮店だが、そのルーツは江戸から続く船宿だ。ハゼ釣りや投網舟、お花見舟、花火など、やがてそのなかで酒席を設けるようになり「舟遊び」へと発展していった。この舟遊びこそが花柳界・柳橋を特徴づけた最大のもので、幕末に書かれた随筆「柳橋新誌」にも当時の粋な遊びとして綴られている。

《昭和36年当時の柳橋周辺。まだ当時は舟遊びが盛んで、舟の往来も多かった(小松屋提供)》

「お座敷でお料理食べて、踊りを見て盛り上がって、さぁ二軒目に……と行っても、芸者さんは着物姿だから、あんまり移動したくないので舟を呼ぶわけですね。料亭には一軒ごとに桟橋「お座敷でお料理食べて、踊りを見て盛り上がって、さぁ二軒目に……と行っても、芸者さんは着物姿だから、あんまり移動したくないので舟を呼ぶわけですね。料亭には一軒ごとに桟橋があって、そこから乗っていくんです。お料理はもうお座敷で食べているから、舟では枝豆とビールくらい。そこに芸者さんが乗り込んで、お三味線を弾いて小唄のひとつも…なんて優雅でしょう? それが柳橋の遊び方でした」

 かつての粋人から愛された舟遊びは一時期、隅田川の水質悪化や護岸工事により料亭から桟橋が失われたことを受けて、ほとんど途絶えてしまった。そうした事情もあり、今、界隈にある船宿の多くは、屋形船を一般的な宴会場として提供するスタイルに変えて、今の屋形船になった。

現在も「小松屋」では、限定的だが昔ながらの小舟での舟遊びを常連客向けに催行している。

 昔の舟あそびを、三味線と小唄を聴きながら舟で周辺を優雅に回るツアーは、「屋形船」しか知らない現代のお客さんからは、「こんな遊び方があるんだ」と好評で、常連客だけで毎年人気のシーズンの予約が埋まってしまうという。

「お客さんによく言われるのは〝やっと本物に出会えたよ〟って言葉です。友人やお客様に大黒家さんなんかを紹介すると、すごく喜ばれます。まさに江戸の天ぷら屋さんだって。銀座や丸の内とかの近代的な天ぷら屋さんとはぜんぜん違う、と。何が本物なのかはお客さんが決めることだけど、芸者さんであったり昔の人たちが好んだスタイルをそのまま残しているお店が柳橋にはあります」

 整備された観光地を期待するのではなく、土地の人間が残してきた在りし日の「江戸」や「花柳界」の姿に触れる。それが柳橋の楽しみ方だと秋元さんは語る。

「そのほうが〝発見した〟っていう感じがするでしょう。ガイドブックに載ってる有名店はみんな行くんだから、やはり自分だけの秘密の場所として柳橋の店に行くほうが、なんかワクワクすると思います。そこが柳橋のいいところなのかな?」

《柳橋の中央区側たもとにある石碑》

2022年4月

取材・文/山口大樹(浅草橋を歩く。asakusa-bashi.tokyo

写真/平柳智子、伊勢新九朗、小松屋提供、秋山武雄提供

企画/浅草みなみ観光連盟

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