ぶらぶらスポット

浅草橋のちょっと気になるスポット~ぶらぶらスポット~です。浅草橋ぶらぶらマップを持って巡ってみよう。

新企画コーナー ぶらぶらスポットを訪ねて

浅草橋ぶらぶらマップの紹介スポット「ぶらぶらスポット」を詳細に、浅草橋に古くから住む人などの取材を交えて、その歴史や秘話などを探索し、時には調査・研究する企画コラムです。浅草橋ぶらぶらマップと合わせてお楽しみください。

  1. 浅草橋駅 – 浅草橋駅のなるほど “深いい” 歴史秘話
  2. 柳橋 – 著名人が愛した花柳界「柳橋」

なお、ぶらぶらスポットに載っている施設ですが、必ず営業時間をご確認の上、お立ち寄りください。また、観光スポットではない施設については、通常立ち入ることは出来ませんのでご注意ください。

(A)おかず横丁のカエル

鳥越一丁目 MAP C3

おかず横丁の脇道にマスコットのように愛されるカエルの像があります。グーグル地図では「蛙大明神」表記されている。ここにカエルが設置された経緯は謎だそうです。「ど根性ガエル」のロケでも商店街が使われました。

(B)おかず横丁

鳥越一丁目 MAP C3 D3 E3

鳥越本通りにある商店街の通称。惣菜、日用食料品店や飲食店が230メートルほどの通りに並んでいます。月に一度「ものづくり横丁」という名称でワークショップや実演販売などを行うイベントも 開催 しています。

(C)カトリック浅草教会

浅草橋五丁目 MAP C4

明治初期から明治後期にかけて東京6教会で最も大きく活動した教会。江戸のキリシタンたちが、教会から東に500メートルほどの浅草鳥越刑場で殉教した歴史を伝える「浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑」がある。

(E)蓬莱園の大イチョウ

浅草橋五丁目 MAP D4

江戸時代、平戸藩主松浦氏の屋敷があり小堀遠州が造営した名園があったが、関東大震災のため荒廃し消滅した。現在は池の一部と、都天然記念物指定の大イチョウを残すだけとなった。

(F)甚内神社

浅草橋三丁目 MAP E4

「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。甚内は武田家の家臣の子で、宮本武蔵に見出されて剣を極めた。武田家再興をはかり治安を乱したた め、マラリアに苦しんでいたところを幕府に捕えら れた。

(G)甚内橋遺跡

浅草橋三丁目 MAP E4

甚内橋はこの四ツ角にあった橋、西から東へ流れる鳥越川の架橋だった。名称は甚内を祭る神社があったのにちなむ。鳥越川は今はなくなったが、その名は「甚内橋遺跡」の小碑に残されている。

(H)鳥越神社

鳥越二丁目 MAP E3

戦前より都内最大級を誇る御本社神輿が、元祖千貫神輿として有名。「千貫」の貫は重さの単位であり、現在では千貫で約4トン。鳥越神社の例大祭の千貫神輿の渡御には、毎年数万の人で賑わう 。

(I)須賀神社

浅草橋二丁目 MAP F5

須賀神社の創建年代は不詳だが、推古天皇九辛酉年(601年)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始したと伝えられている 。

(J)袋物参考館 [要予約]

浅草橋二丁目 MAP E5

袋物参考館は、世界50ヶ国にも及ぶ民族の生活用具としてのバッグなど、約3000点を収集所蔵している。江戸時代の煙草入れや印籠など約300点を所蔵品の中から選び、常設展示しています。03-3862-2111(要予約・入場無料)

(K)銀杏岡八幡神社

浅草橋一丁目 MAP E6

銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062年)に当社を創建したと伝えられている。

(L)浅草橋駅

浅草橋一丁目 MAP D6 E6

JR総武線各駅停車と、都営地下鉄浅草線が乗り入れ、接続駅となっている。東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線。1960年12月、都営1号線として押上~浅草橋間 (3.2km) が開業した。

(M)左衛門橋

浅草橋一丁目 MAP D6

かつてこの一帯は左衛門河岸と呼ばれる地域で、左衛門橋北詰には、昭和38年(1963年)まで浅草左衛門町の町名がありました。また、左衛門橋の中央のポイントは、台東区、千代田区、中央区の境界が交わっています。

(N)浅草見附跡

浅草橋一丁目 MAP E7

江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附のひとつで、警護人を置いて浅草観音や遠くは奥州へ往来する人々を取り締まった。現在は橋のたもとに「浅草見附跡」の碑が建っている。

(O)ヒ ュ ー リッ ク浅草橋ビル駐輪場 レンタサイクル

浅草橋一丁目 MAP E6

街を歩 くの も 楽 しいですが自転車があ るとラ クラク。浅草橋~柳橋~蔵前~鳥越のお店巡りから、浅草までの観光も自転車があればとても便利。利用料金:1日400円(初回登録500円)

(P)ヒ ュ ー リッ ク浅草橋ビル

浅草橋一丁目 MAP E6

台東区所有の旧福井中学校跡地に建設。かつてこの地域は「浅草福井町」という町名で、その福井町は越前福井藩松平家の屋敷があったことに由来する 。

(Q)台東デザイナーズビレッジ

小島二丁目 MAP D1 E1

台東デザイナーズビレッジは、2004年4月に旧小島小学校の校舎を活用して設立されファッションや雑貨、デザイン関連の分野で起業を目指すクリエイターを支援しています。デザビレの愛称で親しまれ、施設公開は毎年5月下旬に行っています。

(R)長寿院

鳥越二丁目 MAP F3

長寿院の創建年代等は不詳ながら、暁誉笈縁和尚(慶安3年1650年卒)が開基したといいます。毎月最終日曜日にキッチンカーが集まり境内で「ガレージマーケット 」が開催されています。

(S)天文台跡

浅草橋三丁目 MAP G4

この地点から西側、通りを一本隔てた区画には、江戸時代後期に、幕府の天文台がおかれていました。ここ浅草の天文台は、寛政の改暦に際して、観測した場所であり、寛政暦を完成させた至時の弟子には、伊能忠敬がいます。

(T)江戸通り

MAP E6・7 F5・6 F4 G3・4 H2・3 I1・2

江戸通りは、丸の内1丁目交差点から、浅草橋を経由して、浅草寺~言問橋をつなぐ道路の通称です。JR浅草橋駅北口から厩橋交差点辺りまでの江戸通り沿いは、今でも沢山のお節句人形の店、花火専門店、駄菓子屋、おもちゃ屋がありますが、これらは江戸時代に浅草見附から浅草寺までの参道の両側にあったお土産屋さんが後に発展したものと言われます。

(U)須賀橋交番前交差点

柳橋二丁目 MAP G4

ここには明治時代は須賀橋、江戸時代は鳥越橋があり、江戸通りと交差する道路には「鳥越川」が流れていた。

(V)第六天榊神社

蔵前一丁目 MAP G4

元は浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社・熱田神社とともに鳥越三所明神と呼ばれていた。古くは第六天神社と称したが明治維新の廃仏毀釈により榊神社へ改称、昭和3年に浅草文庫の跡地であった当地へ移転。

(W)蔵前水の館 [要予約]

蔵前二丁目 MAP H3

地下に埋設され、ほとんど人の目に触れることのない下水道管の中を実際に流れている下水の様子が直接見学できる23区で唯一の施設。実際に使用していたマンホール鉄蓋の展示等もある。03-3241-0944(要予約・入場無料)

(X)浅草御蔵跡の碑

蔵前二丁目 MAP I3

蔵前という地名はこの地に江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことに由来し、蔵は幕府が天領地から集めた米を収蔵するためのもので、およそ3万6千坪、「東京ドーム」2つ分以上の広さがありま し た。

(Y)首尾の松

蔵前一丁目 MAP I4

江戸には、有名な松が何本もあったが、現在ではそのほとんどが枯れてしまっている。初代「首尾の松」は、安永年間(1772-80年)風災に倒れ、現在の首尾の松は7代目といわれている。

(Z)蔵前橋

蔵前一丁目 MAP I4

蔵前橋は、蔵前と横網を結び、蔵前橋通りが通っている。昭和2年開通で、長さ173メートル、下方の連続したアーチ構造が特徴。江戸時代に橋はなく、明治には少し下流に御蔵の渡しがあった。

(a)旧市丸邸

柳橋一丁目 MAP G6

2001年秋、昭和の流行歌手『市丸(江戸小唄の市丸姐さん)』の隅田川沿いの屋敷を改装し、現在は骨董店とカフェとして営業している。

(b)日本文具資料館

柳橋一丁目 MAP G6

「徳川家康の鉛筆」「伊達政宗の鉛筆」など、歴史的な文具を多数展示。文具の進化の歴史が無料で学べる資料館。13:00-16:00(入場無料) (休)土日祝

(c)島崎藤村住居跡付近

柳橋一丁目 MAP F7

明治の文人・島崎藤村は明治39年(1906年)10月から大正2年(1913年)2月まで約7年間、現在の柳橋1-10付近(当時の浅草新片町一番地)に住んでいました。「柳橋ス ケッチ」というエ ッセイがあり、そのエピソードが小説「新生」にも使われて いま す。

(d)浅草橋

浅草橋一丁目 MAP E7

浅草橋は、江戸時代初期の頃から奥州街道に通 じる 交通の要衝として重んじら れてき た橋です。
浅草橋を通る江戸通りは現在、東京マラソンのコース の一部になっています。

(e)亀清楼

柳橋一丁目 MAP F7

創業安政元年、150年の味と伝統を誇る江戸前料理の老舗料亭。かつての花街「柳橋」の風情を残すのは柳橋近くのこの料亭「亀清楼」のみとなっている。場所柄、角界との関わりも古く、横綱審議会 も 行われていま す。

(f)柳橋

柳橋一丁目 MAP F7

ほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになった。江戸時代には吉原に通う舟遊びの場となり、明治時代以降も、文人・画家に愛された花街「柳橋」であった。