浅草橋のちょっと気になるスポット~ぶらぶらスポット~です。浅草橋ぶらぶらマップを持って巡ってみよう。

なお、ぶらぶらスポットに載っている施設ですが、必ず営業時間をご確認の上、お立ち寄りください。また、大使館などの観光スポットではない施設については、通常立ち入ることは出来ませんのでご注意ください。

 

(A) おかず横丁

鳥越一丁目

鳥越本通りにある商店街の通称。惣菜をはじめ、日用食料品を扱う店が230メートルほどの通りに並んでいます。かつて鳥越には町工場が多く、共働きの夫婦も多くおかずを買い求める人々で繁盛しました。

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(B) カトリック浅草教会

浅草橋五丁目

明治初期から明治後期にかけて東京6教会で最も大きく活動した教会。江戸のキリシタンたちが、教会から東に500mほどの浅草鳥越刑場で殉教した歴史を伝える「浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑」がある。

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(C) コンゴ民主共和国大使館

浅草橋五丁目

前大使がこの街を気にいったということで、アフリカのコンゴ民主共和国の大使館が浅草橋5丁目にあります。台東区に1つだけある外国の大使館。

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(D) 蓬莱園の大イチョウ

浅草橋五丁目

江戸時代、平戸藩主松浦氏の屋敷があり小堀遠州が造営した名園がありましたが、関東大震災のため荒廃し消滅した。現在は池の一部と、都天然記念物指定の大イチョウを残すだけです。

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(E) 甚内神社

浅草橋三丁目

「甚内霊神」の名で、江戸時代初期に創建された。甚内は武田家の家臣の子で、宮本武蔵に見出されて剣を極めた。武田家再興をはかり治安を乱したため、マラリアに苦しんでいたところを幕府に捕えられた。

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(F) 甚内橋遺跡

浅草橋三丁目

甚内橋はこの四ツ角にあった橋、西から東へ流れる鳥越川の架橋だった。名称は甚内を祭る神社があったのにちなむ。鳥越川は、今は橋もなくなったが、その名は「甚内橋遺跡」の小碑に残されている。

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(G) 須賀神社

浅草橋二丁目

須賀神社の創建年代は不詳ですが、推古天皇九辛酉年(601)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始したといいます。

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(H) 袋物参考館

浅草橋二丁目

袋物参考館は、世界50ヶ国にも及ぶ民族の生活用具としてのバッグなど、およそ3000点を収集所蔵している。江戸時代の煙草入れや印籠など約300点を所蔵品の中から選び、常設展示しています。入館料:無料(要予約03-3862-2111)

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(I) 銀杏岡八幡神社

浅草橋一丁目

銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳ですが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられます。

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(J) ヒューリック浅草橋ビル

浅草橋一丁目

台東区所有の旧福井中学校跡地に建設。かつてこの地域は「浅草福井町」という町名で、その福井町は越前福井藩松平家の屋敷があったことに由来します。

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(K) 浅草橋駅

浅草橋一丁目

JR総武線各駅停車と、都営地下鉄の浅草線が乗り入れ、接続駅となっている。東京都にとって、浅草線は初の地下鉄路線。1960年12月、都営1号線として押上-浅草橋間 (3.2km) が開業した。

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(L) 浅草見附跡

浅草橋一丁目

江戸城の警護のため36箇所に設けられた見附のひとつで、警護人を置いて浅草観音や遠くは奥州へ往来する人々を取り締まった。現在は橋のたもとに「浅草見附跡」の碑が建っている。

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(M) 浅草橋

浅草橋一丁目

浅草橋は、江戸時代初期の頃から奥州街道に通じる交通の要衝として重んじられてきた橋です。浅草橋を通る江戸通りは現在、東京マラソンのコースの一部になっています。

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(N) 日本文具資料館

柳橋一丁目

「徳川家康の鉛筆」「伊達政宗の鉛筆」など、歴史的な文具を多数展示。文具の進化の歴史が無料で学べる資料館。営:13:00-16:00(入場無料) 休:土日祝

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(O) 柳橋

柳橋一丁目

ほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになった。江戸時代には吉原に通う舟遊びの場となり、明治時代以降も、文人・画家に愛された花街「柳橋」であった。

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(P) 鳥越神社

鳥越二丁目

戦前より都内最大級を誇る御本社神輿が、元祖千貫神輿として有名です。「千貫」の貫は、重さの単位であり現在では千貫で約4トン。鳥越神社の例祭の千貫神輿の渡御には、毎年数万の人で賑わいます。

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(Q) 天文台跡

浅草橋三丁目

この地点から西側、通りを一本隔てた区画には、江戸時代後期に、幕府の天文台がおかれていました。ここ浅草の天文台は、寛政の改暦に際して、観測した場所であり、至時の弟子には、伊能忠敬がいます。

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(R) 蔵前水の館

蔵前二丁目

地下に埋設され、ほとんど人の目に触れることのない下水道管の中を実際に流れている下水の様子が直接見学できる23区で唯一の施設です。実際に使用していたマンホール鉄蓋の展示等もあります。

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(S) 浅草御蔵跡の碑

蔵前二丁目

蔵前という地名はこの地に江戸幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことに由来し、蔵は幕府が天領他から集めた米を収蔵するためのもので、およそ3万6千坪、「東京ドーム」2つ分以上の広さがありました。

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(T) 首尾の松

蔵前一丁目

江戸には、有名な松が何本もありましたが、現在ではそのほとんどが枯れてしまっています。初代「首尾の松」は、安永年間(1772-80)風災に倒れ、現在の首尾の松は7代目といわれています。

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(U) 蔵前橋

蔵前一丁目

蔵前橋は、蔵前と横網を結び、蔵前橋通りが通っている。昭和2年開通で、長さ173m、下方の連続したアーチ構造が特徴。江戸時代に橋はなく、明治には少し下流に御蔵の渡しがあった。

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(V) 須賀橋交番前交差点

柳橋二丁目

ここには明治時代は須賀橋、江戸時代は鳥越橋があり、江戸通りと交差する道路には「鳥越川」が流れていました。

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(W) 第六天榊神社

蔵前一丁目

元は浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社・熱田神社とともに鳥越三所明神と呼ばれていた。古くは第六天神社と称したが明治維新の廃仏毀釈により榊神社へ改称、昭和3年に浅草文庫の跡地であった当地へ移転。

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(X) 旧市丸邸跡

柳橋一丁目

2001年秋、昭和の流行歌手『市丸(江戸小唄の市丸姐さん)』の隅田川沿いの屋敷を改装し、現在は骨董店とカフェとして営業している。

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